2017年7月19日 (水)

「エイジノミクス」で日本は蘇る - 高齢社会の成長戦略 (吉川洋・八田達夫編著、NHK出版新書)

今回は、表題の新書を紹介させて頂きます。

日本にとって今、最大の課題は「高齢化」だ。では日本はピンチなのか?答えはノー。高齢化に対応するイノベーションが起き、それを多方面に応用すれば、需要もGDPもまだまだ伸びるからだ。

マクロ経済学とミクロ経済学の両大家が組んで「高齢化イノベーションの経済学=エイジノミクス」を提唱。創薬、ロボティクスから自動運転、混合介護、雇用改革まで、最先端の実例を豊富に収集・分析して、日本経済成長の途を説く!

https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000885222017.html

2017年4月10日 (月)

高橋琢磨著「葬られた文部大臣橋田邦彦」WAVE出版

 

以下、アマゾンより

 

内容紹介

世界的科学者を多数育て科学立国日本を拓いた男。近衛・東條内閣の文相が歴史から消された真相を探り戦時の昭和に斬り込む!

一連の科学者・教育者であった橋田が政治の世界に引き出されたのは思想家としても信頼を得ていたからだ。その人と国を興すことに実を捧げた足跡を辿ると……当時の政局も見えてくる。

橋田邦彦は東條内閣を批判して文部大臣を辞めたが、近衛・東條内閣の閣僚であったことから戦犯とされ、自死した。そのため名前すら歴史から消されてしまった感がある。彼は、日本経済の窮状を救うために科学立国を目指すことを提言し、実践者として自ら科学者たちの研究・発表の場をつくり、若手研究者を教育して世界トップクラスの人材を大勢育てあげた功績は計り知れない。また科学者、教育者として求心力・発信力に秀でた橋田は、仏教の古典「正法眼蔵」の深い理解者であり、物事の根源、心の世界を見つめて人びとに働きかけ、希望へと導いた。だからこそ、混迷の時代にある現在の日本が注目したい人物である。人を、国を興すことに日々を捧げた橋田の足跡は、きっと日本の再起に力となってくれる。政財官のリーダーにぜひ読んでほしい書、若い人たちには人生の歩き方の参考書として目を通してほしい書である。さらに、橋田の一挙手一投足は、じつは戦前・戦中の政治に並行したものであり、時に立ち向かった記録でもある。そこを紐解いていくと、思わず膝を打つ当時の政治の実相が浮かび上がってくる。

出版社からのコメント

混迷の時代にある現在の日本が注目したい人物,橋田邦彦。人を、国を興すことに日々を捧げた橋田の足跡は、きっと日本の再起に力となってくれるはずである。政財官のリーダーにぜひ読んでほしい書、若い人たちには人生の歩き方の参考書として目を通してほしい書である。 さらに、橋田の一挙手一投足は、じつは戦前・戦中の政治に並行したものであり、時に立ち向かった記録でもある。そこを紐解いていくと、思わず膝を打つ当時の政治の実相が浮かび上がってくる。

 

2017年4月 3日 (月)

東大がつくった高齢社会の教科書 - 長寿時代の人生設計と社会創造

「高齢社会検定試験」公式テキスト(以下、アマゾンより)


「高齢化最先進国」である日本。この人生100年時代に人生設計をどうするか、社会システムの構築をいかに行うか。健康、就労、お金、介護、年金、テクノロジー、まちづくり高齢化に関わる基礎知識を学び、安心で活力ある未来をめざすための一冊。ビジネス、行政、NPO、大学、そしてあらゆる個人に必携。「高齢社会検定」公式テキスト。


本書は、『東大がつくった 確かな未来視点を持つための 高齢社会の教科書』(ベネッセコーポレーション、20133月刊)の改訂版で、20171月までの最新の情報をもとに新たに作成しました。

【主要目次】
[
総論]
1章 超高齢未来の姿
2章 超高齢未来の課題
3章 超高齢未来の可能性――課題解決に向けた方向性
[
個人編]
4章 長寿時代の理想の生き方・老い方
5章 高齢者の活躍の仕方――就労・社会参加・生涯学習など
6章 高齢者の住まい
7章 高齢者と移動
8章 高齢者の暮らしとお金
9章 高齢者の暮らしを支える資源
10章 老化の理解とヘルスプロモーション
11章 認知・行動障害への対応
12章 最期の日々を自分らしく
[
社会編]
13章 超高齢社会と社会保障
14章 医療制度の現状と改革視点
15章 介護・高齢者福祉の現状と改革視点
16章 年金政策の現状と改革視点
17章 住宅政策・まちづくり
18章 交通・移動システム
19章 ジェロンテクノロジー
20章 高齢者と法――自己決定と本人保護

 

東京大学高齢社会総合研究機構 編著

東京大学出版会

2017年1月31日 (火)

玉田 樹「地方創生逆転の一打~公助の異次元改革のススメ」ぎょうせい

 地方創生が遅々としています。ここで逆転の一打を放たなければ地方創生の灯が消えてしまう、との思いでこの本を出版することにしました。

 この本は、国の方々、地方自治体のみなさん、地域住民の方々に読んでもらいたいと思って書きました。

 本書が、地方創生の灯を燃え上がらせる逆転の一打になれば幸いです。

 全国津々浦々からの声が燎原の火のごとく上がることを願って。

2017年 新春   玉田 樹

2015年2月25日 (水)

書評:『革新的中小企業のグローバル経営(「差別化」と「標準化」の成長戦略)』(土屋勉男・金山権・原田節雄・高橋義郎著)同文館出版、2015年1月25日

 

評者:髙橋琢磨 (日本シンクタンク・アカデミー理事)

 

日本経済は、グローバル化の進展のなかで地位を低下させてきた。世界の大企業番付の『フォーチュン500』に名を連ねる日本企業の数は過去20年間で149社から57社へとほとんど3分の1のレベルにまで落込んでいる。だが、少子高齢化社会で日本経済の活性化を図らなければ、日本の先行きは怪しくなる。

そこで日本の国内生産の7割を占めるのが、特に世界と競合していないローカル経済圏に根をおろすL型企業の活性化策に注目したのが冨山和彦ならば、『革新的中小企業のグローバル経営』の著者、土屋たちは、中小・中堅企業のなかから「オンリーワン企業」を選び出し、彼らがグローバル経営へと脱皮することに期待を抱く。したがって、冨山が注目する企業が川越で「小江戸巡回バス」を走らせて小江戸・川越の観光振興に一役買うイーグルバスのような地域でオンリーワン・サービスを提供する企業ならば、土屋たちが注目するのは精密バルブというニッチ製品での「オンリーワン企業」として知られるフジキンのような会社になる。

著者の一人、土屋は革新的中小企業群に注目し、R&Dでも分野を絞り、特定の分野で強みを持ち、成長よりは持続を優先する、小さいが大企業には負けない実力が備わっている中小企業を「小さな大企業」と名づけた。ニッチ製品での高いシェアをもつ「オンリーワン企業」もそうした「小さな大企業」のカテゴリーの一つだ。本書は、4部、10章からなっているが、基本はそうした「オンリーワン企業」11社をとりあげ、その国際化への取り組みを一社ごとに検討し、そこから、グローバル経営への課題を拾おうとした取り組みになっている。

こうした「オンリーワン企業」は、定義によってニッチ製品で高いシェアを持つわけであり、海外の需要には「輸出で間に合う」(「輸出型企業」)ことになる。大企業であるインテルも「輸出型企業」といえる。

ところが、ニッチ製品は特殊な分野をカバーしているがゆえに、往々にしてリード・ユーザーに導かれて高度な製品が生まれるというケースが多い。こうした優位性のあるニッチ製品というコンセプトは、評者がかつて提案した「戦略部品」に近いコンセプトだが、「戦略部品」がそれ一つで商品になり得るほどの独立性の高い部品であるのに対し、オンリーワン企業のニッチ製品は多くの場合独立性が高くないという難点がある。

前出のフジキンの場合も精密バルブのユーザーが画期的とされる東北大学の大見忠弘の提唱したウルトラクリーンルーム型の半導体製造装置を開発した際に、バルブメーカーとして参加し、そこでの成功が「オンリーワン企業」へと導いたという経緯があり、ユーザー対応が重要になる。そのユーザーもまた半導体メーカーというユーザーを持ち、納入した部品はその半導体メーカーの工場で動いている。当初は日本の半導体メーカーは、競争力をもち、欧米のライバルと競っていたが、次第に工場の所在地としては韓国・台湾、中国と主力が移る一方、部品もまた半導体製造装置というシステムの一環という性格、つまりエンジニアリングサービスの一部になって行った。

そこでフジキンとしては、日本国内にR&D,製造の拠点を置きながらも、こうしたグローバルに散らばるユーザー対応に効率的に取り組める体制を築いて行った。アメリカで自社が得意とするバルブよりは大型のバルブ製造メーカー、CCIを買収したのは、アメリカでの顧客拡大(IBM,インテル)と製造拠点としてである。一方、アジアで韓国、台湾、上海にフルサービスができる拠点を設けて顧客対応に万全を期す体制を築いたが、バルブ製品に関しては汎用品と特殊・先端品に分け、汎用品を2002年開設したベトナム工場へ集中してコスト削減を図ることとした。韓国工場は重要顧客対応のためとのもの、日本はR&Dセンター、特殊・先端品に特化したマザー工場との位置づけとなる。

特殊シリンダーの南武、飲料缶のプルトップの昭和精工なども、国際化をはかる場合、このフジキンのタイプになることは容易に想像ができよう。事実、南武は中国とタイに製造子会社を持つが、それはいずれも汎用品のための工場という位置づけになる。

一方、「オンリーワン企業」のニッチ製品でも手離れが良いものもある。時計の文字盤用塗料を生産する根本特殊化学、精密ポテンショメーターの栄通信工業、自動串刺し機のコジマ技研工業、製麺プラントの富士製作所などのケースがそれに当たろう。

多くの企業では、現在のところ「輸出型企業」の形態で間に合っているが、時計文字盤用塗料、〈N夜光〉をもつ根本特殊化学は、当初、香港、アムステルダムの営業拠点の設置でグローバル市場をカバーしていたが、ポルトガル、さらには中国の深、上海、大連に製造子会社を持つことになった。そして時計の一大産地のスイスからはライセンシングで生産したいとの申し出があり、それに応じた形で2007年からライセンシング工場が稼働している。〈N夜光〉を看板商品とし、どの市場でも同じ行動をする「国際型企業」といえよう。

二つの違いは規模から来ているのかも知れない。そこで第5章、第10章では、制御機器メーカー、IDECを舞台に、標準化戦略、知財戦略を論じ、中小企業では「オンリーワン企業」たるデファクト(事実上の)標準戦略でことたりたものが、中堅企業ともなればニッチ製品だけでは狭く、そこにデジュール(法的)国際標準化をからめた知財戦略も必要になると説く。

IDECの与えた教訓とは、同社がいくつかのオンリーワン製品(=デファクト)を持っていたが初めは市場シェア100%でスタートできても、他社が追随してきたりすると相当なスピードでシェアを失うことが起こっていた。

そこで、安全面では画期的になると考えられたイネーブルスイッチの開発では、IDECは、研究開発マネジメントの考え方や構造を大きく転換し、従来のような単に研究開発と知財を連携させることを中心としたマネジメントではなく、国際規格の重要性の高まりを受け、「研究開発+知財+標準」の三位一体の先端的な開発体制をとったイネーブルスイッチというのは、柵内などの危険領域において、作業者がメンテナンス等の非定常作業を行う際、ロボットなどの機械の予期しない動作から回避するために使用する安全装置組み込みのコンポーネントである。

世界で通じる標準、すなわち国際規格等を重要視する流れはますます加速している。そうした中で、同社が国内で先駈け的モデルケースになり得たのは、単に技術が優れているから、アイデアがすばらしいからそれを特許にしておこう、知的財産として守っていこう、というような従来的な開発体制では、利益はすぐに失われることを実感したからだ。

IDECでは、イネーブルスイッチの世界標準をとるためには、具体的には欧州の企業と組み、日欧の安全基準に合致できるような製品になるよう規格を調整しながら開発をすすめ、市場に送り出したことから実際に機械メーカー、ロボットメーカーたちが採用するごとにシェアは上がっていくというオンリーワン製品(=デファクト)時代の経験とは逆の現象が現れている。

こうした標準化の議論を踏まえ第6章ではISO経営の意義が説かれ、第7章では11の国際化のケースからのアジア市場での成功条件が論じられる。

8章~第10章は、評者が上記で紹介してきたようなケース全体のまとめと今後の課題を論じている。第8章では経済産業省で2013年から始まったグローバルニッチ・トップ100社との関連、ドイツ中小企業の紹介がなされており、第9章では中小企業の国際展開に向けた中小企業海外展開支援策を、そして第10章ではリバースイノベーションの可能性を意識した叙述がうかがえる。

評者は、少子高齢化、人口減少に直面した日本経済は、日本企業の本格的なグローバル化がなければ、成長は覚束ないと論じ、大も小も多国籍企業化すべきだと提唱している(髙橋琢磨『日本企業の多国籍化:輸出立国から直投立国へ:グローバル経営シリーズKDP・http://www.amazon.co.jp/dp/B00ED8R8DM/ )。少子高齢化社会を生き抜くためには、北欧や韓国などが自国の市場が小さいゆえにグローバルな市場を想定しなければ経済的に成り立たなかった、彼らにならえということだ。

そして政府も、中小企業の国際展開に向けた中小企業海外展開支援策を展開し始めたばかりである。その意味では、本書はまさに好タイミングで出版されたといえよう。中小企業の枠組みでの「オンリーワン企業」から中堅企業に至るには飛躍が必要で標準化戦略等が考慮されなくてはならないというのもきわめて至当である。

ただ惜しむらくは、著者たち自身が指摘しているように、「オンリーワン企業」から中堅企業に至るには飛躍が必要だという事実だ。つまり、本書で取り上げられた11社が、フジキンとIDECを除けば、中堅企業というよりは小規模企業で「グローバル経営」に至るにはなお時間を要する存在だということだ。著者たちは、革新的中小企業、「オンリーワン企業」に焦点を当てて書いているが、残された課題(「おわりに」)で指摘しているように、「中堅企業への飛躍」に向けての次の研究に期待したい。

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2013年4月27日 (土)

高橋琢磨「戦略の経営学-日本を取り巻く環境変化への解」ダイヤモンド社

書評:髙橋琢磨「戦略の経営学ー日本を取り巻く環境変化への

ダイヤモンド社、201212月刊    

 

       元拓殖大学教授   松井幹雄

 

(はじめに)

社会人類学者として日本社会の特異性を鋭く洞察した中根千枝は、日本の学会や研究会における批評の仕方についても興味深い指摘をしている。

「まず、不必要な賛辞(それも最大限の敬語を羅列した)に長い時間を費やし、そのあとで、ほんのちょっぴり、自分の反論を、いかにもとるにたらないような印象を与える表現によってつけ加えたりする。客観的にみると、学者にあっても真理の追求よりも、人間関係のリチュアルのほうが優先している、といわざるをえない。私は、西欧においても、アジアにおいても、これほど不合理な学者間のやりとりを見たことがない。日本人の学問に対する『生ぬるさ』がここにも見られるような気がする。いかにも、実力よりも肩書きの優先する学者の世界のあり方であろう。」(中根千枝、「タテ社会の人間関係」講談社現代新書)

 評者は、幸か不幸か、人間関係のリチュアルを優先させなければならない動機・理由が見当たらない。従って中根教授の御眼鏡にはかなわないかもしれないが、日本人らしくないやり方で「戦略の経営学」を批評していくことにする。このささやかな挑戦がJTTAの書評欄の存在価値を高めることにいささかでも貢献するならば、まさに望外の喜びというべきであろう。

 

(本書の問題意識)

本書は、創知・情報化時代の経営戦略論の教科書として執筆されている。これまでの戦略論テキストが、複数の専門家によって分担執筆されてきたことからわかるように、経営戦略論は広い学問領域からなり、それぞれが専門化されている。しかし、その結果テキストとしてまとまりを欠くきらいが指摘されてきた。また著者は冒頭で、「日本では経営戦略論は無視されたり、誤解を受けてきた」と述べ、さらに「海外の新理論を無批判に受け入れるだけでよいのだろうか」と日本の戦略論のあり方に厳しい目を向けている。本書は、このような戦略論の問題点を熟知する一方で、長い間経営現場の近くにいて実務と研究に携わってきた著者の挑戦といえるだろう。これまで出版された戦略論テキストと異なり幅広い分野、最新のテーマを扱い、それらを豊富な文献と事例で補い内容を深めながらまとまった作品に仕上げている。テキストではあるが通説に対する批判や著者のユニークな見解も織り込まれている。また、「創知の戦略」、「戦略部品」という著者の新しい時代の戦略概念が登場するなど、読む人に知的刺激を与える個所が数多く含まれている。

 

日本人は、過去の経緯で出来あがった「現物」をよりよく工夫・改善することには巧みだが、「何もないところに論理的な整合性のある構築物をつくり上げるということになると、はたと当惑してしまう」という見方がある(岡崎久彦、「戦略的思考とは何か」、中公新書、1983)。ともあれ、これまで日本の経営学者は、「戦略とは何か」という視点に立って戦略論を論じ続けてきた。「戦略とは論理である」(伊丹敬之、「経営戦略の論理」、日本経済新聞社、1980)といい、「戦略の本質は、存在を賭けた『義』の実現に向けて、コンテクストに応じた知的パフォーマンスを演ずる、自律分散的な賢慮型リーダーシップの体系を創造することである」(野中郁次郎、「戦略の本質」、日本経済新聞社、2005)という。

しかし、P.Fドラッカーが指摘しているように「原形を失うほどに修正を加えてはじめて使うことのできる理論には、いかなる有用性も、意味もない」のである(「現代の経営」、ダイヤモンド社、1996)。

そして著者も、「失われた20年の責任は経営を誤った日本のICT企業経営者にある」(「戦略の経営学」、p7―以下同書からの引用はページのみ記入)とズバリ指摘しているが、日本の経営者の経営判断を狂わせたきたのは、こうした国籍不明の抽象的な戦略論に責任の一端があるかもしれない。

 

(本書における戦略論の展開)

さて、本書の前半は、経営戦略論における二つの大きな流れ、学派となってきたポジショニング論とリソース・ベースト・ビュー論に対する批判からからはじまる。1980年代から90年代にかけて戦略論の教科書として評価の高かったP.E.ポーターの競争の戦略論は、ポジショニング論を代表する理論である。著者は、このポーターの理論を俎上に乗せながら、「論理的な間違い」を指摘し、さらに彼の理論は「敗者の論理である」と述べている。後述するように、創知・情報化時代を迎えてポーター理論の基礎となる分析概念、「バリューチェーンが分解され有効性を失った」、と著者は考えているからである。そして、「創異」を提唱する著者の戦略論が展開されていく。一方、本書の後半は、創知・情報化時代の戦略として著者が提唱する「創知」、「戦略部品」などの新しいコンセプトを前提にした具体的な戦略論と組織論が展開されている。

まず著者は、ポーターの基本戦略論に向かっていく。「品質とコストの限界線」という図表(p22)を使いながら「縦軸に消費者の認識する品質を、横軸にコストをとるとポーターの(差別化かコストリーダーシップかという)二分法では図表中の品質と低コストの2つの極点を結ぶ点線となる。戦略としての選択は両端の2点のみとなり、その中間は在りえない。・・・ポーターの言う優位は、何も二分法で考える必要はないのだ。・・・二分法をとったことにより、その中間にある大きな市場を無視したという点で論理的に間違っているといえよう」述べている(pp2122)。しかし、ポーターが論じているのは「バリューチェーンをもつ売り手と買い手」で構成される業界であり、さらに「業界の範囲」、「セグメントの範囲」を明示するなど分析対象を限定している。従って、限界線の形も著者が描いたものとは異なり、縦軸、横軸と交接せず、「戦略としての選択は両端の2点のみ」という著者の主張の根拠は崩れてしまう。実際に、ポーターが、論文(「What is Strategy ?」、HBR, Nov-Dec, 1996)の中で描いたproductivity frontier曲線は、縦軸が「買い手の得る非価格的価値」、横軸は「コスト」であり、曲線は2軸と交接することはない。また著者は、ポーターが「差別化かコストリーダーシップか」という二分法の立場をとっていると批判している。しかし、ポーターが「集中」という第三の区分を設定していることには言及せず、またその理由について説明もない。

さらに「ポーターの競争戦略論は、目に見えない強者=日本企業に対する弱者、つまりアメリカ企業への処方箋であった」(p21)とも指摘している。しかし、ポーターがめざしたのは当然ながら普遍的な戦略論である。彼が日本企業を強者と捉えていたのかどうかは明らかでないが、彼が日本企業の行動を「合理的で戦略的な行動」と解釈しなかったことは確かであろう。

因みに、論者の数だけあるともいわれ、「神学論争」を繰り広げてきたのが経営戦略論の歴史である。これらを10の学派(スクール)に区分けし、それぞれについて批評を試みているH.ミンツバーグは、ポーターの理論について「戦略の策定を数値の合理的な分析に置き換えてしまったが、『三つの基本戦略』を導き出すという他の学派にない貢献をした」と的確に評価している。つまり、ポーター以外のほとんどの戦略論は、戦略をどうつくるのかその具体的な内容に立ち入らないで「ブラック・ボックス」にしたまま、その周辺の問題を論じているにすぎない。ただミンツバーグは、ポーターが「その結果として統合的な戦略構想という大切なものを戦略策定プロセスから追い出してしまった」とも述べている(H. Mintzberg et al, Strategy Safari,1998)。

 

(時代の推移と戦略論の関係)

戦略が多義的であいまいな概念であるということについては、これまで繰り返し指摘されてきた。著者も、「はじめに」の中で、経営戦略の論理も経営環境に大きく左右されるとの立場で本書を書いたと述べている。

戦略論のもつ「あいまいさ」は、1950年代にアメリカ大企業で、企業目標やその達成手段の選択に関する意思決定とその方法をレベルアップするために、意思決定に「戦略的」という用語を使いはじめた時に埋め込まれていたといえる(P.F.ドラッカー、前出)。そしてこの時期から、経営の中に「ビジネス・ポリシー」に代って「戦略」という言葉が入り込むことになる。しかし、周知のように戦略論の本家である軍事・安全保障論の分野でも、「戦略とは極めて多義的であいまいな概念であり」、さらに「戦略研究には明確な境界がない」ことが指摘されてきたのである(石津朋之他編著、「戦略原論―軍事と平和のグランド・ストラテジー」、日本経済新聞出版社、2010)。

さてアメリカは、19世紀末に登場したF.W. テイラーの「科学的マネジメント」の伝統の中で、1920年代から大量生産体制の導入によって新たに登場した問題に先進的に取り組んできた。こうして情報の不確実性と意思決定、論理、制御、品質管理、システムなど抽象的論理的人工物を対象とする新たな科学領域が登場する。ドラッカーのいう「マネジメント革命」であり、その成果は、第二次大戦で軍事作戦の中にも取り入れられ貢献したとされている。そして戦後になり企業経営の分野に適用されるようになる。

1960年代に入り経営戦略論が流行となった時、「分析―計画―実行―調整」という戦略計画の思想は、実践に役立つ論理、サイエンスと位置づけられていた。そして現実と理論の乖離は、歴史的に浅く専門化が進んでいない経営側の問題であり、いずれは経営側が理論に接近し解消するものと考えられていたのである。

しかし、経営が進化しても理論に接近していくことはなく、戦略概念の混乱は今日も続いている。2001年に出版された、J.マグレッタの(「What Management Is ? (邦訳:マネジメントとは何か)」、ソフトバンク・パブリッシング)がアメリカでベストセラーになったことは興味深い。

こうした歴史的観点を踏まえながら、著者が1980年代後半にはじまったと指摘する「創知・情報化」という時代とその戦略論に注目し、著者の提唱する「創異」の概念を吟味していくことにしよう。

著者は、時代が工業化の時代から創知・情報化時代に移る中で、「ポーターのいう『バリューチェーン』が壊れ、ものづくりと価値づくりが乖離していく、組立型製造業の価値づくりが組み立てから戦略部品にシフトすることをよく理解しなければならない」と述べている(p64)。

ITC産業の急速な発展の中で、「オープン・アーキテクチャー」と「モジュール化」という新しいルールが登場すると、関連技術を自前主義でワンセットとして自社開発してきた企業は、「分解された『バリューチェーン』を新たな観点から価値づくりを目指して再構成し、新たなビジネスモデルを開発することが必要になる」(p83)。

著者は、この新たな価値づくりは、特定のモジュールの設計・生産に集中し、それ以外は提携によって他企業の資源を利用することであり、これが創知・情報化時代の戦略の前提になってきたと述べる。

これまでにも著者は、1990年代に出現したグローバル競争に対応するために、創知情報の重要性を指摘し、「下からの攻め」と「戦略部品」という戦略概念を提起してきた(高橋琢磨、「戦略部品への挑戦―日本企業復活の条件」、日本経済新聞社、1994)。本書では、さらに一歩進めて、新しい時代を特徴づける包摂的な概念として「創異(difference-making)」を提唱している。つまり工業化の時代のバリューチェーンをいじくるだけは利益が出なくなり、自ら差異を創り出す「創異」が必要だというのである。本書における最も重要な主張が行われている個所であり、著者の大胆な仮説と理解すべきであろう。

 

「創異」は、著者によれば、革新的な技術を駆使して新しいコンセプトを提示する「創知(knowledge origination)」と、ブランドやビジネスモデルの創出たる「創美」に分かれる。

 著者がどう名づけようと、「創美」に関しては異論をはさむ余地は少ない。問題は、著者のいう「創知」であり、著者が「創知」という新しいコンセプトを最小限で商品化したものと定義している「戦略部品」であろう。著者は、戦略部品を、それがなければ製品としての価値がないという機能をもった部品で、コア・コンピタンスやケイパビリティと異なり、たとえばインテルのMPU、シマノの自転車ギアのような商品であると言っている。

だが、「創知」であろうと、「戦略部品」であろうと、その内実は、ブレークスルー・イノベーションによって達成されるということと同義だ。この視点は、古くは1970年代にM.ジェリネックが提案(M. Jelinek, Institutionalizing Innovation, 1979)し、最近ではC.クリステンセンが提唱しているのと同様である。つまり、これまでの合理的戦略論の常識を超える「逆説の論理」を内包するイノベーションを企業の戦略の中核に据えよというものだ。しかし、「優良企業が成功するのは、顧客の声に鋭敏に耳を傾け、顧客の次世代の要望に応えるような積極的に技術、製品、生産設備に投資するためだ。しかし、同じ理由で優良企業がイノベーションに失敗する」のである(C.クリステンセン、「イノベーションのジレンマ、(伊豆原弓訳)」、翔泳社、2000)。ともかく「創知」という著者の提案は、日本企業には高いハードルのように見える。著者は、「創知」、「戦略部品」という戦略コンセプトを提唱し、「下からの攻め」を強調するが、その具体的な戦略形成にまでは言及していない。

さらに著者は、「下からの攻め」に関連して日本企業のガバナンス構造が問題だったとも指摘している。たとえば、アップルの〈iPad〉のような新しいコンセプトが日本企業でも提案されており、日本企業にアイディアが枯渇しているわけではないのに、社内の思惑のために商品化できなかった点に問題があるというのだ(p193)。また著者は、C.クリステンセンの「破壊的イノベーション」やGEの提唱する「リバースイノベーション」も、実は著者が日本企業の観察から生まれた「下からの攻め」というコンセプトに包摂される概念だとも主張し、日本企業にも本来、「破壊的イノベーション」や「リバースイノベーション」を遂行する能力が備わっているとする。

しかし、この著者の見解は、著者が指摘するような「日本企業のガバナンス」の見直しといった問題ではなく、企業組織とイノベーションに関する研究による検証を待たなければならないのではなかろうか。

ここでは、これ以上言及しないが、デジタル時代の家電製品・電子機器産業の戦略論に関連して、「デバイスプッシュ型産業」という見解を指摘しておきたい。「『デバイスプッシュ型産業』で必要となるのは、製品やサービスのシステムに含まれる普遍的な機能を抽象的に把握して、システム全体と部分の範囲を恒常的に再定義し、自社の事業ドメインと必要とされる独自能力を同定する能力である。そこでは、自社の事業範囲を超えて、関連するさまざまな事業活動を含む産業システム全体を俯瞰することが必要となる。・・・こうした『抽象化』能力は、『製品プル型』産業システムで重要となる『擦り合わせ』能力とは異なるだけでなく、互いに矛盾する面もある。一部には、こうした抽象化能力の欠如を、日本企業の雇用システムやガバナンス、長期利益志向に起因するものといった議論もあるようだが、そこに因果関係を見出すのは無理があろう。あえて言えば、完成品企業を頂点とした閉鎖的な企業関係、もしくは系列システムの存在が関係している可能性は否定できないということであり、となれば、閉鎖的な企業間関係の見直しは改革の焦点となるかもしれない。また、汎用的な機能モジュールの抽出を基盤とした『デバイスプッシュ型』産業システムの下では、一般に、完成品企業による付加価値創出が難しくなるが、その状況は、企業経営のあり方を変えたからといって解決されるような問題ではない。」(青島矢一/武石彰/M.A.クスマノ、「メイド・イン・ジャパンは終わるのか」、東洋経済新報社、2010

 

(ものづくりと価値づくりは本当に「乖離」しているのか)

著者の「戦略部品」論の前提となる「バリューチェーンの分解」、「ものづくりと価値づくりが乖離していく」、さらに「価値づくりがデザイナーの手に託されるようになった」という認識について述べる。そもそも「バリューチェーン」は、ものづくりと価値づくりに分割できる概念なのか。さらに工業化の時代から創知・情報化時代に移ったために分析概念として有効性を失ったというのであろうか。

ここでポーターの「バリュ―チェーン」は分析概念だということを確認しておかねばならない。繰り返すがポーターの「バリューチェーン」の定義は、「価値のすべてをあらわすものであって、価値をつくる活動とマージンとからなる」(M.E.ポーター、競争優位の戦略)のであり、この「バリューチェーン」を「ものづくり」と「価値づくり」に分解する、といったことは想定されていない。そもそも「ものづくり」と「価値づくり」は次元の異なる概念であり、同列に論じることは出来ない。前者は個別企業の技術、組織能力と当該産業内の競争環境によって決まる。一方「価値づくり」は顧客の評価、その価値観のあり方によって決まる。敢えて言えば、これまで日本企業が生産工程における「品質」と「価値」を混同して、「価値づくり」という企業存続の基本前提をあいまいにしてきたということであろう。

本来乖離している価値づくりとものづくりをどう結びつけ、それを企業競争力に結びつけるのか。この「企業の価値づくり」の具体的な中身と、それが競争力と収益に結びつく理由を解明することが急がれる。この点については「ものづくりの現場を日本に残せ」と主張してきた藤本隆宏の議論に注目すべきであろう。

彼は「トヨタ的システムの神髄は、『設計情報の創造(開発)と転写(生産)』をよどみなく高精度で行う組織能力だ」と述べ、・・・このようなトヨタ的なルーチンの総体(トヨタ的システム―引用者)が、一貫したトータル・システムとして高い能力(生産性や高品質など)をもたらしてきたことは、過去の研究で論理的にも実証的にも確認済みである。そして、長年の逆キャッチアップ努力にもかかわらず、トヨタ的能力を完全にマスターした欧米企業はまだない。生産現場の生産性や品質において、トヨタやホンダなど日本のものづくり優良企業は、依然世界のトップにある」と指摘している(藤本隆宏「ものづくりからの復活―円高・震災に現場は負けない」、日本経済新聞出版社、2012

ここでは藤本も、「顧客にとっての付加価値は設計情報に宿る」とは言っているが、筆者のように「転写」が容易になったになったという理由で、「価値づくりとものづくりが乖離していく」という立場は取らない。つまり、著者が序論の中でいうように、「創知・情報化時代になってものづくりは簡単になり、現物は「設計情報」とイーコールになった(p13)」とは言えないのである。

藤本が取り上げたトヨタのものづくりは、クローズド・アーキテテクチャ―の代表的な分野であり、著者が重要な変化ととらえるオープン・アーキテクチャーの世界ではない。もちろん、評者も、著者が指摘するように日本の情報エレクトロニクス企業がものづくり能力をめぐる企業間競争に集中し、価値づくりを怠ったというという面は否定できないと考える。特にアナログ時代と異なり、デジタル時代の家電製品、電子機器には、ものづくりでの過程で生まれた少々の差異など消費者に無視されるという現実の意味はとてつもなく大きい。

 

(おわりに)

以上、本書の中から恣意的にいくつか論点を取り出し私見を述べた。全体を読み通して改めて感じるのが、日本企業にとって「良い戦略とは何か」という基本的な問いが必要だということである。1980年代に世界を席巻する勢いの業績を残した日本企業は、今やその多くが世界の競争から脱落し往時の面影をとどめない程度にまで追い込まれている。「失われた20年の責任は、経営を誤った日本のICT企業経営者にある」と、著者が指摘していることは既に述べたが、評者は、その間、経営学者、戦略論者はどのようにその原因を解析し、提言してきたのか、と問いたいのである。

著者は、日本企業の調子が良かった時には、日本企業の強さばかりに目をやっていたとの沼上幹の言葉を引用している(P26)。だが、それ以上の反省なり、前向きの提言はないのかと問いたいのだ。直近の状況を見ても、かつて日本産業を代表したエレクトロニクス企業は、「ガラパゴス化」などと揶揄されながら漂流を続けている。課題は未解決のままである。

経済学者の吉川洋、そしてノーベル賞経済学者P.クルーグマンは、共にそれぞれの近著の中で、現実から遊離し役に立たなくなってしまった経済学の現状を厳しく自己批判している。クルーグマンは、「End This Depression Now !(邦訳:さっさと不況を終わらせろ)」、早川書房、2012)の中で、「経済学が問題の解明、解決に貢献していないどころか、有害な存在になってしまった」と述べている。また吉川は、「デフレーション―“日本の慢性病”の全貌を解明する」(日本経済新聞社、2013)の中で、「デフレと金融政策をめぐる論争は、混迷する現代マクロ経済学の反映である」と述べ、現在のマクロ経済学が、「現実の経済とは何のかかわりも持たない知的遊戯に変わってしまった」と断じている。そして「現代のマクロ経済学が軽蔑する『古いマクロ経済学』は、いまでも役立つ。世界の中央銀行がゼロ金利の下で続ける手探りの試行錯誤を支えるのは、実は「古い経済学」の知見である」と述べ、現実から乖離した経済学のあり方に警鐘を鳴らしている。

著者は、浩瀚な専門知識と長年現場に近いところから企業の研究に携わりながら、役立つ戦略論を志向してきた。本書は、そうした著者ならではの作品であり、その知的挑戦に改めて敬意を表したい。

(記事00005)

2013年4月13日 (土)

「東大がつくった高齢社会の教科書」ベネッセ

高齢化最先進国の日本において、高齢化という人口構成の変化は、個人生活や社会システムのあらゆる領域で様々な課題をもたらしている。

 例えば、社会保障財政の問題、医療・介護に関する諸問題、労働力確保の問題、住環境及び移動・交通システムの再構築の必要性、高齢者の就労・社会参加・生きがいづくりの必要性、引きこもりと孤独死ゼロ化に向けた取組みなど、様々な課題がこれからの本格的な超高齢化とともに深刻さを増していくことが懸念される。

 これらの課題を解決して明るい未来を築いていくには、高齢社会について正しく理解するための総合的な知識が欠かせない。

 そんな高齢社会に関する総合的知識を提供する教材が、このたび(平成25325日)、ベネッセから発売された。教材の編著者は東京大学高齢社会総合研究機構で、同機構所属の各先生方が、医療・介護、住まい、就労や社会参加、年金等社会保障、交通や移動、福祉機器など、それぞれの専門分野の執筆を担当している。教材のタイトルもずばり「東大がつくった 確かな未来視点を持つための 高齢社会の教科書」となっている。

 また、この教材を、公式テキストとして使用する「高齢社会検定試験」も同時に開始される。検定試験を運営するのは、東大の先生方が中心になって組織した「一般社団法人 高齢社会検定協会」である。第1回の試験は、平成25914日に東京大学駒場キャンパスで実施される。

 これからの長い人生をよりよく生きるために、個人の長寿化に関する知識が必要となるのは言うまでもない。さらにビジネスマンや行政マンが、これからの日本で仕事をする上で、高齢社会に関する知識は欠かせないのではないか。

 今回の「高齢社会の教科書」と「高齢社会検定」が、高齢化が進む日本において、高齢社会の知識インフラの一翼を担うことを期待したい。

 

(高齢社会検定の公式サイトは下記URL)

http://www.kentei-uketsuke.com/gerontology/

 日本シンクタンクアカデミー 理事長 岡本憲之

(記事00004)

2013年2月13日 (水)

土屋勉男ほか「現代日本のものづくり戦略 -革新的企業のイノベーション」白桃書房

 

書評:土屋勉男ほか『現代日本のものづくり戦略--革新的企業のイノベーション』

 

東京都市大学 都市生活学部 教授 井上隆一郎

 

 

 

 本著作は日本シンクタンクアカデミー副理事長、土屋勉男氏を著者の一人として2011(平成23)年10月に白桃書房より発刊されたもので、一般財団法人商工総合研究所より平成24年度中小企業研究奨励賞・経営部門準賞を受けたものである。

 

 

 

 「八万旗に男子なし」とは新撰組局長、近藤勇の言と言われている。天下泰平の三百年を徳川幕府旗本として安穏と過ごし、武士としての気概を失っていることを厳しく批判したものである。これに因んで著者の言葉を代弁すれば「大企業に経営者なし、革新なし」ということになろう。

 

 筆者は、中小企業庁『元気なもの作り企業300社』(各年版)掲載の企業などから約20社を対象に地道かつ詳細な実態調査を実施し、6社の優秀企業を抽出している。これら中小革新企業は、日本の大企業の多くが長期の停滞の中で迷走しているのに対して、各種の危機に正面から向き合い、それらを克服するとともに果敢に革新に挑みこれを成功させている。中には世界的企業との対等な提携を経て、高い世界シェアを獲得している企業も珍しくはない。

 

 これらの企業に共通しているのは、経営者の強力なリーダーシップのもとに、企業の持続性を維持しながら、高度なイノベーション能力を発揮し、中小企業=大企業下請け企業という概念を遥かに超えている。そのイノベーションは、オープンかつネットワークというキーワードを特徴とするものである。その結節点には「顔の見える経営者」の存在があり、「リードユーザー」とも呼ぶべき大企業などとの顧客関係がある。

 

 これらの事例に見る優秀企業を筆者は日本各地に存在する「地域富士」に例え、これを中心とする地域の産業組織を「地域富士型産業システム」と呼んで、今後の日本産業システムの理念型としている。日本各地に存在する地域富士型産業システムを活性化することが、将来の日本産業、日本経済活性化の鍵となり、大企業もこれらの優秀中小企業との関係を通して革新が進むという主張である。従来の大企業中心、同時に中小企業を下請けという定義のもとの産業政策ではなく、地域富士型産業システムを角にした産業政策への転換を説いている。

 

 日本産業の実力、そして中小企業の実力の評価に新たな視点を提供する画期的な著作である。

(記事00003)

 

2013年2月 5日 (火)

高橋琢磨「戦略の経営学 -日本を取り巻く環境変化への解-」ダイヤモンド社

日本シンクタンクアカデミー理事にご就任頂いております高橋琢磨先生(明治学院大学講師)の最新の著書です。今回はダイヤモンド社の記事(下記URL)をそのまま掲載させて頂きます。

http://www.npo-jtta.jp/pdf/book01.pdf

(記事00002)

2013年1月30日 (水)

土屋ほか「現代日本のものづくり戦略」(白桃書房) -経営部門准賞に選定

書籍:土屋勉男、原頼利、竹村正明「現代日本のものづくり戦略 -革新的企業のイノベーション」(白桃書房)

日本シンクタンクアカデミーの副理事長にご就任頂いております土屋勉男桜美林大学大学院客員教授の上記著作(共著)が、このたび商工中金(商工総合研究所)の平成24年度中小企業研究奨励賞「経営部門准賞」に選定されましたのでお知らせ致します。

(記事00001)

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